情報発信について

前々からアタマの中に情報発信の構想があったんだけど

ゲームにドハマリして中々出来ないでいた

 

しかしこちらの方も一段落して

最近はフリーのブログサービスで

テーマ別に書き始めている

 

ところがフリーの場合はいろいろ不安もあって

書いたブログの著作権の問題(誰のものになるか)や

ブログの削除、サービス停止の心配云々を考えていたら

 

やっぱり自分でサーバーの契約をしてワードプレスでしっかりやろうということになり、今は情報収集をやっている

 

ブログサービスも便利なんだけど、各社ツールの使い勝手はだいたい似たようなもので基本概念は共通なものの、細かいところをみると差分もあるから標準ツールのワードプレスに集約したいという思いもある

 

とりあえず書きたいテーマは

・書評

・海外生活

・留学

・法律

・農作業

 

で考えているけど

本が大分溜まっているから

書評は優先してやりたいね

 

あとはフリーでやってたブログのお引越しも考え中

集客力一般について

友人がYoutubeに出ていたが

これがなかなか面白かった

にも関わらず視聴回数はおよそ100

 

編集はそこそこされているし

何より肝心のトークは友人であるひいきを取り除いでも

かなり面白いものだったがこの程度の評価なのが

 

というかこれが世間の現実なのであろう

 

面白い人はたくさんいるし

彼らの面白さはどんぐりの背比べレベルで高い水準だと思うが

やはり知名度や他の何かが

視聴回数を決める大きな要因になると思う

 

動画の投稿本数なんて億を遥かに超えるだの

99%は見られていないというネット記事もあるから

数十人でも見てくれりゃぁ

たいしたものなのだろう

 

幸か不幸か日本語は独自の言語だから

日本市場は日本語の動画がライバルになるけど

動画の母数は減るといっても決して小さい数では無いと思う

 

仮にあるテーマの動画が10000本あったとして

そのなかでトップ100に入れるだろうか

10000のなかの上位100なら上位1%である

 

それくらい有名なり面白くならなければ意味がないのである

やっとまともに競争(検索で有効と思われる)の土俵に上がれる

トップ10ならば0.1%である

 

ネットで有名になったり、金を稼ごうなどということは

端から止めたほうが正解なのである

 

有名になるなり、金を稼ぎたいと思うのであれば

目の前の学校や職場で目立つ活動をした方が

よほど確実なのである。

精米 何分づきが良いか

精米所なんかだと3、5、7分を良く見かけますが

個人的には6分がベストかな

 

5だと玄米感が強いし

7だと削り過ぎで白米と変わらなくなる

(胚芽も結構取れてしまっている)

 

胚芽をそこそこ残しつつ

白米の味と食べやすさを追求すると

 

6分がベスト

 

という結論にたどり着きました

 

ただ精米の削り具合っていうのは

精米機の性能やクセとコメとのマッチングみたいなものだから

個別でいろいろ試すのがベストかと思います。

大分放置プレイが進む

あまりにもこのブログを放置しすぎて

はてなさんから通知が来た

(誤解なく言っておくと個別ではなくて、システムの自動通知みたいなやつね)

そろそろ暖かくなるし

庭いじりネタでも復活しようと思う

塵積(塵も積もれば山となる)

他のところでもブログ書いてて

そこも閑古鳥が鳴いている状況なんだけど

記事が溜まってくるとPV数も増えてきて

今までは一桁台を這いつくばっていたのが

二桁台がちらほらと出てくるようになった

 

数が少なくても

自分の発信や行動に対して反応や変化があると面白いですね

 

続ける原動力になります

 

ブログ発信でも動画投稿でも

コメントに対し好意的な反応をする管理者も少なくないですが

自分も情報発信してみるとその気持が良くわかります

 

ネットで発信するっていうことは

 

誰かに見て欲しい

誰かと共感したい

 

ってことなんですよね

 

そうでなければ

ノートに書くなりネットにアップせずに自分のパソコンに打ち込めばいいわけですから

 

そんなわけで

大した反応や反響がないとは分かっていつつも

小さな変化が楽しみでこうして何かを書き続けるわけです。

虫に慣れる

畑作業をしているとそうなる

虫のついた野菜など気にならなくなるのだ

 

台所でなんかの幼虫やアブラムシが出てこようが

水で洗ってオシマイ

虫食いだって気にしない

 

仮に虫を食ったとしても

気にならないと思う

 

野菜を食っている虫なんだから

野菜で出来ている虫を食ったところで

問題になることは無いからだと思うからだ

 

もちろん健康な野菜は

抵抗力があるから虫食いに遭わない

つまり虫食いされる野菜は不健康だ

という反論もあるのだろうが

テーマから外れるからそれについては議論しない

 

とにかく、ちょっとやそっとの虫食い、土汚れをスルーする文化があれば

生産者の仕事は楽になるし、生産コストが少しでも下がり、歩留まりが上がれば

消費者もハッピーになると思うのだが

完璧主義、清潔至上主義の

畑を知らない人たちが作る消費者文化だとそれも難しかろう

 

農家が農薬に頼らざるを得ない状況は当然なのである。

自然と昔

オレの部屋には

エアコンも暖房も無いから 

夏は当然暑いし

冬も当然寒い

 

金払って付けりゃいいんだろうけど

オレの潜在意識がそれをやってはいけないと勝手に思っている

 

そんな感じで多少は過酷な自然環境に身を置く生活をしていると

昔の高校生までの学生時代を思い出すのだ

 

今と違って学校には冷房は無いから

夏は死ぬほど暑く

汗を流しながら体育の授業を受け

教室でも腕に水滴をつけながら先生の話を聞いたり

授業中に寝ていたりする

 

冬は当然のこと暖房はあるが

確か小中はストーブ

高校はどうだったか忘れた

 

とにかく通学がしんどい

小学校は徒歩だけど中高はチャリだから

強い北風に逆らいながらペダルをこがねばならないのだ(帰りは楽)

 

その日の風の強さが気分に直結していて

風が無ければ気分は悪くないし

強い北風が吹いていれば朝から気分は滅入るのだった

 

こうした日々を自然と今もこのように思い出しているわけで

これは悪いことでは無いとも思っている

 

エアコンが完備された今の子には

季節感は昔ほど無いのかもしれない

 

スーパーに行けば一年中好きなものは食えるし

通学や出かけるにも親が送迎してくれる

自分で行くにしても、衣類の技術が進化したから昔ほど寒くはない

 

趣味や娯楽だって腐るほど溢れているから

年中行事の待ち遠しさやありがたみも無い

 

結局便利で快適になっているようで

楽しさや思い出は稀釈されていくし

精神も肉体も軟弱になるようにも思う

 

思い出っていうのは

楽しさよりも辛さとのギャップみたいなもので

如何に双方の天秤をうまくバランスとるかなんだよね

でもって、その振り幅が大きければ

人生はドラマチックと実感できるわけ。(ドラマチックである必要性は無いけど)